新しいゴールデンエイジ70代

「あるある」、「わかるわかる」と独り頷きながら読んだ『同窓会に行けない症候群』(鈴木信行著)と『70歳のたしなみ』(坂東真理子著)。内容の一部を引用しながら、7月16日のブログ「悠々自適は、もう少し後でよい」の続編を書いてみた。

 

2種類の人間

 『同窓会に行けない症候群』の本の見返しには、大きくこう書かれている。今、日本には、2種類の人間がいる。同窓会に行ける人と、いけない人だ。50代に静かに広がる「同窓会に行けない症候群」を4つのパターンに分け、なぜなのかを関係者へのインタビューをもとに検証している。一つの大きな理由としているのは、平成世代を襲った「自信をなくしやすい経済環境」だ。右肩上がりの経済成長は終焉し、日本経済を取り巻く環境は大きく変わり、50代半ばでいわゆる「終わった人」になってしまう。これでは同窓会に出る自信も失せてしまうと。一方、高度経済成長期とバブルの時代を生きた70~80代の引退世代の多くは、個人差こそあれそれぞれが自分なりの自信を持って人生を歩むことが可能だった。

 

錦糸町の同窓会

 私の世代は70~80代の引退世代であるが、この世代の同窓会はどうだろうか。高校卒業時の同窓会では、頻繁に同窓会があり、行くことを楽しみにしている同窓生は多い。しかし、一度も同窓会に顔を出さない行けない症候群は一定数いる。私はと言えば、特段、行くことを楽しみにしているわけでもないが、年に一度又は数年に一度くらいは顔を出す程度で、どちらかと言えば行けないではなく、行かない症候群であろう。

 

 「千葉の首都」と言われている街、錦糸町。『同窓会に行けない症候群』の話しは、この街から始まる。千葉県の小中学校を卒業した気の合う同級生5名が錦糸町の居酒屋で定期的に同窓会をする。場所としては他の同級生に合うこともなく、地元に残っている同級生にも都心で働いている同級生にも便利な場所。

 

浜までは海女も蓑着る時雨かな

 70代というのは新しいゴールデンエイジ、人生の黄金時代である。「もう」70歳だから「今さら」何をしても遅すぎる、「どうせ」成果は上がらないと自分を貶めるのは金輪際やめよう。坂東真理子さんの『70歳のたしなみ』のはじめに書かれている言葉である。「浜までは海女も蓑着る時雨かな」の精神にもつうじる坂東さんの高齢者としてのたしなみには共感するところ大である。官僚として局長まで上り詰め、今は大学の学長を務めている坂東さんだから「こんなことが言える」。こんな批判が聞こえてきそうであるが、私は坂東さんだからとは決して思わない。

 

 同窓会・同期会については、こう言っている。「別に出てくれと言われていないから」「出席しなければならない義理はないから」「特に面白いこともないだろう」と言っていたら、どこへも出なくても日は過ぎる。歳をとったら「義理欠く、恥じ欠く、人情欠く」でいいのだとうそぶいていては、あっという間にボケてしまう。この三欠くの教えは蓄財の心得であって、高齢期を豊かに過ごす心得ではない。正反対に、高齢期を貧しく面白みのないものにする。そうならないためには、たとえ面倒でもまず足を運ぶ。

 

人間の脳には逆らえない

 人間の脳は慣れないこと、慣れない環境に対しては、面倒くさがり、拒絶する性質があるそうだ。人と会うことを疎遠にすると、ついつい会うことが面倒くさくなる。会合に行きたくないと何かと理由をつけて欠席する。そうすると次第に出席しなくなる。なるほどである。人間、易き気持ちに流れて行動していると、面倒くさいことに不慣れになってくる。これは防がねば。「行くか行くまいか迷ったら、行く」。このことはストレスがかかることではあるが、70代をゴールデンエイジにするためにも実行しようと思う。しかし同窓会は錦糸町が好きだ。