小さな怒りやストレスは生きていて当たり前

どうにかならないか(1)

 

最近高齢者が運転する車で悲惨な交通事故が、連日、ニュースになっています。対策として75歳以上の高齢者の免許証更新の仕組みを変えるとか、免許証の返上を強く促すとか言われていますが、高齢者だけでなく交通法規を守らないドライバーについて、どうにかならないかと思うことがあります。横断歩道の前での一時停止です。福井県の信号機のない横断歩道における車の一時停止率は4.5%、全国平均の8.6%を大きく下回っています。お年寄りの方は、車が一時停止しないから、横断歩道の前でいつまでも待たされ渡れません。これどうにかならないか。

どうにかならないか(2)

 

 

先日、電車内で目にした光景です。私の前に座った若い女性。乗り込んでから降りる迄(約40分)、一度もスマホを手にしませんでした。周りはというと、ほとんどがスマホを見続けています。この光景は普通になっています。私の前に座った女性の方が異常と思えてしまいます。「若者の斜視にスマートフォンの影響か」。NHKがニュースで取り上げていました。スマホを見続けるのは本人の勝手だと思うでしょうが、時に、周りに迷惑をかけている場合があるのです。駅のホームで電車待ち。あまりにもスマホに夢中になっていて、整列しないで前にも詰めないで、勝手気ままに並んでいる。これ、どうにかならないか。

 

生きることは問題だらけ

加齢とともに怒りやすくなるということは、脳科学的には説明されています。その自覚は持っていますし、自制心も衰えていません。それで、理不尽に外に対して怒りを爆発はさせることはしません。一方で、これどうにかならいか、という小さな怒りの感情は心の中に常に芽生えます。そして仕事をしていると、いくらかのストレスも日常的に受けます。生きている限り、これら小さな怒りやストレスは人間として自然な状態だと思っています。私がいつも素晴らしい生き方、考え方をしている人だと尊敬している丹羽宇一郎さんは著書(『人間の本性』)の中で、こんなことを書いています。「私は常々、生きることは問題だらけ、問題があるからこそ人間は生きているんだ、ということをいっています。・・・問題がないのが幸せという前提で構える人が多いように感じます。・・・問題はあって当たり前なのです」と。

 

 

今の私は、他人から見ればちっぽけな問題に怒り、そして仕事では大したことでもない問題にストレスを感じ、何とかストレスを乗り越えて解決する。そうすると次の問題が待ち構えている。これが仕事をしながら生きている限り当たり前、と思っています。何か問題があり得る今日であり、明日です・・・。