思考の棚にフックをつくる

読書はしないといけないものか

購読していない私は知らなかったのですが、3月8日付の朝日新聞に21才の大学生からの投書が掲載され、大きな話題になったようです。「本を読まないのは良くないと言えるのだろうか。(中略)もし、読書をしなければいけない確固たる理由があるならば教えて頂きたい」。この投書に対し、多くの方からさまざまな意見が寄せられたと。「1日の読書時間ゼロ」と答えた大学生が約5割にのぼった」(全国大学生活協同組合連合会の調査)。「1か月に本を1冊も読まない」と答えた人が47.5%(2013年度)に達した」(文化庁の調査)。これらの調査が示すように、読書離れが進んでいる今の時代、朝日新聞への学生の投書には、そんなに違和感を感じないのは私だけではないでしょう。

 

私の読書

読書は人から強要されてするもでなく、読書をする目的も人によりさまざまです。このことは、21歳の大学生の投書に対する多くの方からの意見を読むと、よくわかります。私にとっての読書とは? 仕事柄、セミナーやコンサルのネタになるビジネス系の実用書や自分の知識を補強するものなど、多くは出力を意識した読書です。いわゆる古典や骨太の小説を読むことは、ほとんどありません。

 

セレンディピティ(Serendipity)

素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。 また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。 平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。(Wikipediaより)

丹羽宇一郎さんの著書『死ぬほど読書』の中に、このセレンディピティと読書との関わりについて書かれた箇所があります。「・・・本をよく読んでいると、このようなセレンディピティは起こりやすくなると思います。セレンディピティはいろいろな人と出会ったりして知見が高まると、起こる頻度が高まるといわれます。本を読むのも、いろいろな人(著者)と出会って付き合うことです。したがって本をよく読んでいる人は、セレンディピティを一層招きやすくなるのではないでしょうか。読書をすると自分のなかに引き出しがたくさんできます。問題意識が生まれます。つまり思考の棚に、さまざまなフックができるのです・・・」。

 

私の意見

真偽は保証されていないネット上の情報は、ただで得ることができます。誰が書いたか特定できる本を身銭を切って購入し、読書することによって得られるものは、ネットからは得られない何かがあるようです。その一つがセレンディピティ。私のような読書でも、セレンディピティを感じることはあります。出力を意識して思考のフックを持つと、自分のフックに引っかかり、そこから新しい知見が生まれ、思わぬ展開や可能性が見えてくることがあります。投書した21歳の学生に対し、私が意見するとしたら「読む読まないはあなたの自由ですが、やはり読書には効用があります」と言います。