朋あり遠方より来る

もう、半世紀たちます

自由さを謳歌した学生時代は、もう半世紀前のことになります。東京から高校・大学と一緒だった友が福井へ。いつものことだが、学生時代の話しでお酒がすすむ、ススム。半世紀前、長時間かけて遠い街の大学を受験し、合格した7人の同志。今年の秋には、大学キャンパスまで地下鉄が開通した、懐かしい街で「7人会」をやろうかと。

杜の都

懐かしい街は、6年前、大震災で大きな被害を受けました。今は復旧も進み、元の姿に戻っているようです。まだ米軍第7師団の跡地の面影が残る地にあった教養部キャンパス。周りは緑豊かで、杜の都の風情を感じる広大な敷地。高校3年のとき、この光景に憧れ、遠いこの地の大学を受験したのは半世紀前の昭和39年です。

朋あり遠方より来る

心の友と呼べるような親友が遠くから訪ねてきてくれるのは、たいへん増しく楽しいものです。心の友でなくとも、若き日、同じ志を持ち大学時代をともにした同級生は、朋と言えるでしょう。そしてこの朋と語らうことは、心を楽しくしてくれます。この言葉は「論語」の「学而編」の中にあり、「・・・、また楽しからずや」と続きます。人生の最高の楽しみの一つは、仲のよい友人とともに酒をくみかわし、歓談することであるという。まさにそのことを感じた1日でした。

 

いつまでの私の朋でいて欲しい

遠くより来た朋との話しは、幼き頃の同級生(女の子)の話しであったり、大学時代の小さな悪さを楽しんだ話しであったりする他愛もない話しですが、一つ一つの話しが全て共有できることに、朋との話しの楽しみを感じるものです。彼は、腹を切っています。でも元氣です。これからも気のおけない、私の朋でいて欲しい。