社会が教えるとは?

自転車走行のマナー

バスターミナルが設置され福井鉄道が西口広場に乗り入れ、4月28日には福井駅西口再開発ビル「ハピリン」もオープンし、福井駅西口広場はこれまで以上に人の集まる広場になっていくでしょう。広場には、「ここからは歩道です。自転車を降りて走行してください」と書かれた福井市駅前整備課の立て看板が数か所、設置されています。しかし現状は、この立て看板を無視するかのように、自転車は走行しています。駅西広場は美しく整備されても、人のマナーは美しくない。こんな福井県の県都福井市駅西口広場の現状が気になっています。

 

りっぱな公共心

相田みつおさんの言葉を用いたCMを、先日、見ました。

「セトモノとセトモノと

ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう

どっちかやわらかければだいじょうぶ

やわらかいこころをもちましょう

そういうわたしはいつもセトモノ」

おおらかな気持ちでいることも、りっぱな公共心です、相田さんのメッセージです。

 

キレる高齢者

年をとれば穏やかな性格になり、好々爺然としてくる。これまでの高齢者のイメージでした。しかし東洋経済の『キレる老人』によると、高齢者になると暴言やエキセントリックな言動など「キレやすくて自己中心的」になるのは必然だという。医学的にも加齢によって脳の機能が低下し、感情抑制機能の低下、判断力・意欲の低下などが起こるとされています。

 

好々爺然として見守る

ライフスタイルや価値観の多種多様にともない、確信犯的に公共のマナーやルールを守らない人たち。誰にも教えてもらえなかったので、マナーやルール(特に中高生)を知らない人たち。このような状況下、駅西広場のルールを守らない自転車走行について、どう考えたらよいのだろうか。ルールを守らないことを注意したり、走行のルールを教えたりすることは誰の役割だろうか。それは社会の役割だと・・・。では社会とは?家庭(親)、学校(教師)、地域(大人)。気になる大人の一人として、私がすべきことは?相田さんの言葉「おおらかな気持ちでいることも、りっぱな公共心です」には同感。注意して逆キレされ自分が「キレる高齢者」にはなりたくない。とすれば、見て見ぬ振りではなく、好々爺として見守ってやることだろうか。なんか逃げているようで、すっきりしない私の気持ち。