私と勢古浩璽氏、新春に想う

ふと手にした本

東京駒込駅の北口を出ると右手に、小さな書店があります。ホテルのチェックインの時間調整にぶらりと立ち寄り、手にした本『さらなる定年後のリアル』。著者は、勢古浩璽氏。あまり聞いたことない作家。67才、私より3歳年下ですが、ほぼ同年代といってよいでしょう。どんなことを書いているのだろう。まだチェックインの時間まで十分ある。生き生きとした定年後の過ごし方、なんて本かなと思いながら、立ち読みをつづける。

 

こんな定年後の生き方

趣味や生きがいもない、友達も少ない、お金もあまりない、そんな人はこれから長く続く定年後の生活をどう過ごせばよいのか? なにもしない静かな生活こそ、白いごはんのように飽きが来ない。そこそこ健康と、そこそこの自由、これさえあればなんとかなる・・・(『定年後の7年目のリアル』、『さらなる定年後のリアル』より)。そんな著者の想い、考え方、日々の振舞い、本を読みすすめるほどに、納得する。

 

小さな愉しみ

日々の小さなことに愉しみを発見するかどうかが勝負である。他者から与えてもらう「楽しみ」ではなく、自分で考えて見出す「愉しみ」。そんな愉しみは、近くの気持ちのいい喫茶店で好きな本を読む。チャリンコに乗り、少しだけ遠出する。自分の部屋に閉じこもり、好きなDVD、TVを観る。年に数回、気の許せる友と会う。人と群れない、独りでじんわりと愉しむ。勢古浩璽氏の生き方である。私の拙文ではリアルに豊かに表現できないのが残念ですが、勢古浩璽氏の生き方に共感する。

 

また昨日と同じ今日が来る

私と勢古浩璽氏は、ほぼ同世代。子供の頃の性格、振舞い、すこぶる似ている。私も、あまり人と群れるのが好きでなかった。でも自意識だけは過剰に持っていた。見栄もはって生きてきた。粋がってもいた。すべて足りているのに、まだ欲しがっている。でも今の自分はこんな程度にしかならなかった。プライドを捨て、自分を低くするのは難しい。しかし、「偉そうにする人間はすべてアホである」。と勢古浩璽氏は言う。ほんとにそう思う。昨年の年賀状には、こう書いた。「・・・健康に留意し、気持ちは前向きに、そして謙虚に歩んでいきます」。また昨日と同じ今日が来る。そう信じて、今年も生きよう!明日が来なかったら、なんて心配はしない。もう少し現役をやるつもりの私。その後に遅れてくる定年。趣味がなくても愉しみに生きる。勢古浩璽氏から知恵をもらった。