Kさんのリターンマッチ

社長代行

「これから会社に伺ってもよろしいですか。いろいろ報告したいことがあります・・・」。いつもそうですが、今日はさらに弾むような声で電話がありました。Kさんからです。差し出されたKさんの名刺、Kさんの肩書は◯◯◯旅館 社長代行。3年前、Kさんの会社は倒産し、自分自身も破産宣告。私の会社には、わずかではありますが、売掛金が回収されず残りました。そのとき以来、Kさんはこのことを申し訳なく思い、自分自身の現況を頻繁に報告に来るようになりました。そして今日、Kさんのリターンマッチが始まったのです。


島津藩に魅せられて

私とKさんとは同じソフトウエア開発を経営する仲間として、13年ほど前からの付き合いです。Kさんと付き合うほどに、IT関連の経営者らしからぬユニークな個性を知るようになりました。歴史、観光イベントの好きなKさん。彼には2冊の著書、『薩摩の風に送られて』と『小松戦国物語』があります。「このまま行けば、必ず家康が天下を取り、徳川の独裁政権となるは必定。 そこで、島津家当主、島津義弘がこれからの国際社会を考慮した日本の設立を考えた。 三者の均衡を保ち、互いに牽制し合い、独裁を防ぐ。 それが天下三分の計こと、日本三分の計である。 そのパートナーとして、奥州の独眼龍、伊達政宗を選んだ」。『薩摩の風に送られて』の前書きです。Kさんにとって島津藩は情熱を傾けるに足る大きな存在だったようです。2006年には、Kさんが立ち上げた石川県/鹿児島県地域文化交流会のイベント、「仙巌園物語~未来へ奔るアートの共演」を企画し、開催します。準備やプレイベントのため、1か月ほど、仕事を部下に任せ、金沢と鹿児島との往復を続けながら。


倒産へと

この頃は、2002年初めから始まった景気回復が「いざなぎ景気」を超え、私の会社も含め、IT業界は好景気の恩恵を享受していました。しかし、会社を1か月も留守にし、鹿児島県でのイベントに没頭するKさんの姿に、「会社、大丈夫!」と老婆心ながら、心配したものです。やがてそれは現実のものになってしまいました。長く続いた景気も、2008年のリーマンショックで世界が奈落を味わうようになったのです。IT業界は、ソフトウエアへの投資もバッタリと止まり、仕事がまったくありません。体力のない会社は、どうしようもありません。私の会社の財務も大きく毀損しました。今では売上も回復し、債務も返済し、現在に至っていますが、Kさんの会社は、数年後、社員を維持する資金繰りに行き詰まり、倒産へと。自分自身は、自己破産宣告。


IT業経営から旅館業へ

「しばらくは農業をやります」。私のところに自己破産の報告に来たKさん。石川県内で就農したいと思っている方が、週に1回、就農に必要な基礎的な知識や技術を学ぶことが出来る「いしかわ耕稼塾」に入ります。卒業後は、農業法人の畑で加賀野菜も栽培し、板金屋さんや旅館でパートのお手伝いをしながら、生活の糧を得ていたようです。日本は欧米と異なり、一度経営に失敗すると、再出発、リターンマッチが難しい風土があります。挫折してもへこたれず、好奇心旺盛に前向きに次を模索してきたKさん。今は奥さんと二人で、任された旅館の経営に再出発です。Kさんのリターンマッチ、心から応援したいと思っています。Kさん、頑張れ!