二つの復旧を願って・・・

東北大震災から2年2ヶ月半。先日、被災した宮城県、石巻へ行ってきました。石巻及び牡鹿半島の浜辺には、家内の親、兄弟・姉妹が住んでいます。一人の弟を除き、全員が被災しました。自宅をいち早く元のように復旧し、寿司屋さんを再開した妹夫婦。まだ仮設住宅に住んでいる親と長男家族。新しく家を購入して住んでいる姉夫婦。みんな逞しく仕事をし、明るく生活していました。


 北上川が太平洋に流れ込む河口は石巻湾です。この石巻湾にある港、石巻港を眼下に見下ろせる場所に日和山があります。「石巻サーヨー 其の名も高い 日和山トエー」と斎太郎節(大漁唄い込み)に歌いこまれている日和山。日和山から2年2ヶ月半後の被災地を眺めると、石巻港から日和山近くまで、凄まじい津波被災の爪痕がよく見えます。瓦礫は1年前と比べると随分少なくなっていますが、復興は、まだまだの感じです。

次の日は仙台市に立ち寄りました。5月18日と19日、仙台市は青葉まつりです。18日は宵まつりとして、「すずめ踊り」流しが中央通りと一番町通りアーケードで行われていました。伊達家の家紋が「竹に雀」であったことから「すずめ踊り」と名付けられたようです。ヨサコイと違って、可愛い踊りです。明るく屈託なく「すずめ踊り」を踊る人たちを見ていると、宮城県の湾岸の被災地と仙台市の都心部との復旧・復興の大きなギャップを感じます。そして、2年前の震災が嘘のように思える不思議な感覚も覚えます。


 被災からようやく立ち上がり、仕事も軌道に乗ってきたある日。気がついてみると病院のベッドの上。ダンプカーにぶつけられ乗っていた車と自分はプレス状態。数日後には右足切断手術。残った左足も粉砕骨折。左足には2本の金具を入れ、足の復旧を願いながらリハビリをする毎日。今回、再度、石巻に行った目的は不幸にも度重なる災難にあった姉婿をお見舞うためでした。まじめで心優しい姉婿の「なにか俺、悪いことしたか!」の叫びが聞こえてきそうで、人生の不条理を感じざるを得ません。街の復旧はもちろんのこと、姉婿のいち早い復旧を願って石巻を後にしました。