私たちは本当に自分の意思で行動しているのだろうか・・・

東京に出かけるといつも、都市と地方、ビジネスマンの風景の違いを感じます。先週、出張で東京へ行きました。まだクールビズの季節でもないのに、東京はノーネクタイのビジネスマンが多いのです。ここ北陸は、几帳面というか、ほとんどネクタイ姿。ネクタイはビジネスマナーとして必要な場合もありますが、ノーネクタイは仕事するのに楽だし、合理的。この差は、どこからくるのでしょうか。「東京は大企業・ベンチャー企業が多く、地方は中小企業が多いから」という仮説を立てると、地方の中小企業は経営者も社員も変化や冒険を好まず、横並び主義、そう思えてくるのですが・・・。たかがネクタイ、されどネクタイ。小さなことからイノベーション!


 こんなことをFaceBookに投稿したところ、下記のようなコメントが4人の方からありました。

<Aさん>「ノーネクタイがかっこいいと思ってるだけです。雑誌やテレビでネクタイがかっこいいってやれば明日から全員ネクタイしますよ。そもそも日本は開襟シャツ文化で、ネクタイはしてなかったので、ネクタイはしたくないというのが当たり前だと思います。ネクタイ単体で考えてはいけないと思います。シャツの形状で考えることも重要です。襟の部分がネクタイを前提に作られているものと、そうでないものもあります。ネクタイはファッションですので、それが必要かどうかはトータルコーディネートの中で決まってくるわけです。ネクタイをしなくてはいけない。というのはUSBメモリ利用禁止というのと同じ事かと思います」

 

<Bさん>「フォーマルな時はネクタイ、カジュアルな時はノーネクタイです。私の場合には。一応、常にネクタイは持ってますが…」

 

<Cさん>「ネクタイしているほうが見慣れてますので安心感は高いですね。ノーネクタイだと、着こなしている方は、”より男らしく”、手をかけてないと”疲れている?”と幅が広がりますね」

 

<Dさん>「横屋さんに同感。私もここ1年はノーネクタイです。私のFacebookのプロフィール写真のようにシャツはボタンダウンなどで襟が立つタイプのもので、ネクタイがない分ポケットチーフを必ず入れてアクセントを付けます。ノーネクタイの理由は…太ってるからネクタイは首が辛いから(笑)。商工会議所の議員例会で冬でもノーネクタイはたぶん私だけです。もちろん夏場は皆さんノーネクタイですがね」


 私たち人間は本当に自分の意思で行動しているのだろうか。他から影響うけず、本当に自由なのだうか。池谷裕二著『単純な脳 複雑な私』は脳の仕組みと私たち人間の振舞いを考える上ですごくためになる、面白い本です。人の意思(認知)と脳の活動との関係を、私たちがネクタイをする行動の順番で考えてみると、常識的には、①人はネクタイをしようという意思が働く⇒②脳は人の意思、認知を感知してネクタイをするための準備を始める⇒③脳はネクタイをしめる指示を身体に出す⇒④人はネクタイをしめる行動をおこす、ですね。脳科学の研究成果では、そうではないようです。驚くことに、脳は人が意思する前に、既に準備を始めているようです。そして脳が人の行動を知覚してから、少し遅れて行動の指令を出している。順番は、②⇒①⇒④⇒③なのです。人は自分の意思で動いていないのです。しかし、人間は自由に意思できなくとも、自由を否定する、すなわちあらかじめ決められた行動を否定する自由は持っているようです。今までの経験にもとづく蓄積された記憶によって決まる人の意思を否定し、自分の真の意思(?)を持って行動できるのです。


 4人の方のコメントに返事する形で、「どちらも周りがそうだからする、今日から・・・だからしない、ではなく自分の意思を持ってする、しないとすれば出来るビジネスマンに見えて格好いいと思うんですが、どうでしょうか。人間の振舞いの理由は後付けと言われていますが、しかし出来れば意思を持ってネクタイを”する”、”しない”をしたいものですね」と書きました。私がFacebookでの投稿で言いたかったことです。ちなみに私は、ノーネクタイで人とお会いしても失礼にならないと思うし、首を開放してするオフイスでの仕事は効率的だと思っているので、ほとんどネクタイをしません。でも新規の営業で人に会うときは、私の脳がネクタイをする準備を素早くするのでしょうね。過去の記憶から、あいつは今日はネクタイをするな、と感知して。自分の意思だといっても、脳からみれば、既に決定されていたこと。脳科学の知見へのこじつけみたいですが(笑い!)・・・。