あなたの定年後は?

 「ひとが新しく始めるということを忘れてしまわないならば、老年というのは一つのすばらしい事柄である」(イスラエルの哲学者マルティン・ブーバーの『出会い』)。この言葉は、渋谷昌三さんの著作からの引用です。私の高校、大学の同級生にK君というのがいます。先日大阪で久しぶりに会い、旧交を温めてきました。悠々自適を絵にかいたような生活をしているK君。重工業最大手のM重工を定年退職し、月数回のゴルフと陶芸、そして高校の同窓会の幹事などを精力的にこなし、今を十分に愉しんでいる。このブログの写真は、彼からもらった彼が焼いた陶器、ビアマグです。

 

 社会に出たばかりの若い頃は、自分にはいろいろな可能性があるような気がするものですね。私もそうでした。しかし、ある年齢になってくると自分の可能性の限界を知り、定年が近くなるとこれからの長い人生をどのように生きていかなければならないか、若い頃とは違う悩みに直面するものです。私のことを言えば、無謀にも45歳でこれまでとは違う業界(IT業界)に転職しました。この間3つの会社を経て、55歳で今の会社を創業し、今日に至っています。

 

 昨日、今年で2回目となる石川県の委託を受けた「離職者IT訓練」の面接を行いました。訓練コースの定員を超えて受講者が応募しているため、定員に絞り込むための面接です。応募者の中にまだ働き盛りの中高年の男性(50歳代)が、必ず数名、います。最近は以前より多くなっているような気がします。リストラされた方がほとんどです。「パソコンが出来ないので、どこも面接ではねられます。3か月の訓練で身に着け、どこでもいいから再就職したい」と再就職の厳しい現実を切実に語ります。

 

 一方で経済的安定を確保し、悠々自適に生きている人がいれば、少なからず、明日の仕事を必死に求めている人がいる。このような現実を見るにつけ、人それぞれに与えられた定年後の多くの時間の生き方には、これまでの生き様の結果だと言い切ってしまうのには、少し可哀そうと思うほどの大きな差がついてくるように感じます。「ひとが新しく始めるということを忘れてしまわないならば、老年というのは一つのすばらしい事柄である」。今がどのような境遇であったとしても、どのようなことであれ、新しいことにチャレンジする。この言葉は定年後の老年を愉しく生きるヒントになると思いうですが、どうでしょうか。